1月
 
 去年は自分にとってP2P元年でオペラから映画音楽、シャンソンまで結構いろんな種類の音楽を例年より沢山聞くチャンスがあった。下半期からはDVD動画も加わり、これも手当たり次第色んな面白そうなモノとか、見たかったモノをにDLしてしまった。そしてわかったこと。タダでも聞きたくないモノ、見たくないモノはあるということだ。それは個々の趣味好みという問題ではなくて柳の下の二匹目のドジョウ的な似たようなモノ、作り手の主張がなく、あまり愛情と手がかかっていないと分かるような作品というものには脳が勝手にザッピングしてしまうということだ。同窓会的懐かしさや、最近流行の癒しとか言う耳障りのよいものだけを追い求めていても、やはりそれは対処法的な向き合い方にすぎない。しかるに常に今をどう最高にエキサイトさせてくれるモノかが自分には気になるのだとわかった。色んな沢山の音楽作品が経済観念を超えたこのオープンな世界で共有出来るということによって見えて来るモノ。それは激しく振るい分けするというモノを作る人間にとっても必要な感覚だ。なので沢山見たり、聞いたりするという経験と、尚かつそれらに対する自分の意見を持つということは重要だ。増々過激になっていく50親父と、DL専用サーバーとなったPCは今日も”感じる”を求めて日夜働いてくれている。今年も興味は止まらない、止めれない! 小沢健二と昔フリッパーズギターというユニットを組んでいたことがあるこの人のお父さんは昔マヒナスターズという♪チャラチャチャッチャラッラー♪の歌謡グループで活躍されていたミュージシャンで、伊藤穣一氏は彼のまた従兄弟であるらしい。

mp3の音には到底満足出来ず、こいつは最近とうとう買ってしまった。下半期のヘビー・ローテーションになった。!@P@! 昨年はひどく更新もしていないのに月平均800アクセス でした。今年も基本的にはあまり変わらず維持していくことになると思いますが、生来の天の邪鬼体質ゆえ何がどうなっていくか全然わかりましぇ〜ん!

 


2月

 フロリダという二人が育った土地柄があるのか、ジャコにしてもこの人にしても明るく陽気で異種な物への偏見が極めて少ない。初めて聞いたECMでのアルバムではまだハーモナイザーを使ったピッチシフト・サウンドは確立されていなかったが、共演したジャコの影響なのか、これ以後あの独特なコーラス・サウンドを聞くことになる。これも極めて狭いフロリダ音楽シーンの中でジャコの影響が大きかったのかも知れない。 ノンコマーシャル路線のECMを離れ自身のプロダクションを興してからは80年代にナナ・ヴァスコンセロスとの共演からは急速にブラジル音楽に傾倒して行き、アルバムスティルライフで現在のコンテンポラリーなバンド・サウンドはほぼ確立されたようだ。 この手のグループには珍しく沢山の映像作品があるのだが、ベースのスティーブ・ロドビーは映像に明るいらしく、初期の作品では監督としてクレジットされている。先月は立て続けに4本ほどグループの動画を見たが、昔の市販されていないライブ映像など見ていると、取っ替え引っ替え変るギターとアナログ・キーボード回りの接続はさぞやボーヤのセッティングが大変だったろうと思われた。時代が変わるにつれライル・メイズの回りの機材がNotePCになったりして劇的に減っているが、二人ともあの複雑な曲群をいとも簡単に楽器チェンジしていくオペレイション能力と、それが出来る記憶力も凄いもんだと思う。 ミュージシャンとしての宿命であるツアー数も桁外れに多いが、1年中世界中を旅して現在でも貪欲に色んな音楽を取り入れて行くその姿勢は現在も変わらずで、そのハードなツアーに耐えるタフな肉体と好奇心旺盛な音楽熱は何年経っても衰えることはないし、HPサイトを見てもいかにファンを大事にしているかが伺える。 パットのギターサウンド、ハミングする生声、細やかなパーカッション、ライルのカントリーチックで壮大なオーケストレーション、意表をついた転調、管楽器と民族楽器のスパイス、文字にするだけでは当然表せないが、このところ少々マンネリ化しているバンドサウンドを打破すべくドラスティックな変革を期待したい。次は何をやってくれるんだか。


3月

 TVもまだそんなに普及していなかった昭和30年代、それまでの歌謡曲とは違った音楽を聞こうとするとそんなに選択肢はない時代に、ザ・ヒットパレードという番組はシャボン玉ホリデーとともに群を抜いて垢抜けてお気に入りのTV番組のひとつだった。(因にテーマ曲はドラクエの音楽でお馴染みのすぎやま・こういち氏だった)

この人の名前を初めて見つけたのもこの番組中だったと思う。若いタレントさんたちがオリジナルの持ち歌を歌うのではなく、近くの洋品店では絶対手に入らないような洒落た格好で楽しそうにアメリカのヒットチャート曲を歌うのを見たときは軽いカルチャーショックがあった。ジャズやカンツォーネの洋楽スタイルを巧みに取り入れたそのサウンドは、やはりザ・ピーナッツの活躍した時期に黄金期を迎える。若い人達には「宇宙戦艦ヤマト」の作曲者だと言った方が早いのかも知れない。戦後の服部良一、古賀政雄、吉田正を経てジャパニーズ・ポップスというジャンルを日本で確立させた戦後第二世代のモダン・ポップス作・編曲家、宮川泰!4度セブンから3度メジャーに行くドラマチックなマイナー進行は特別お気に入りのようで沢山作品に出て来る。ポップスの王道は不滅だ!最近滅多にCDを買うことがなくなったが、愛のフィナーレを聞きたくてついに買ってしまった。

最初はこの行進曲風テーマソングが聞きたくてサントラからだったが、昔懐かしい人形劇サンダーバード動画32本をこの機会にゲット。再放送で何度も見ていたと思うが、この年になってまじまじ見るのはあの頃と違いまた感慨深いものがある。まあ基本的に子供向けの番組なので細かく突っ込むと矛盾だらけなんだが、昨今はリアリズム追求型ヴァーチャルリアリティで、こういう夢のあるPGMは最近出てきにくくなったようだ。40年以上経っていてもまだまだ十分に楽しめる。ただしあのモスバーガーの店員みたいな帽子とイケテナイ・ユニフォーム以外は・・・。ちょっと〜ちょっと、ちょっと!。

4月

 アマゾン川の支流から名付けたというプテュマヨという小さなレコード・レーベルを皆さんはご存知だろうか?そういう僕も去年French,Brazilモノ探索中にかわいらしいジャケットデザインが気になって偶然知ったばかりなのだが、基本的にはworld music中心で、他と一味違うところはメガヒットを出すようなスーパースターの企画物と違い、テーマごとに応募を募りその中からスタッフの考えるポリシーに合うひと味違った独自の選曲をし、コンピレーション・アルバムとしてリリースしているということだ。その張本人ダン・ストーパーは元々はブティック経営者だったが、お店でかける音楽に悩んでいたところ、いろんな地域へ商品買い付けに行った際、それらの地方の音楽に夢中になってしまい、最初はお店だけでかけるつもりだったのが、ついにはそれらをCDとして紹介することが本気になってしまい現在まで続いているそうだ。また、非営利な活動にも力を入れていて、人道的援助をする団体に援助金を惜しみなく拠出している。 リリースされた枚数も数多く、1年中聞いても飽きない良質なグルーヴとメロディを揃えたワールドミュージックのコンピレーションアルバムとしてボクの日常を日々豊かにしていてくれているこのレーベルのモットーは、GUARANTEED TO MAKE YOU FEEL GOOD = これを聴けば間違いなし!レコード会社、アーティスト偏重のこの時代に、その独自でユニークな選曲センスと商品企画のポリシー、独自の販売ルートで巨大音楽マーケットに一つのアンチテーゼとしてその異色な存在を示してくれている。
今世界が最も必要としているのは、少数派を効率よく支配し自分たちの都合を広げようという私利私欲を追求した同化なのではなく、文化の多様性を認め、あなたはあなた、私は私、その基本的に違っている文化をお互いに認め合い尊重し合うという、異文化への敬いということなのだろう。そういうことを、最近のチベット問題でも強く思う今日この頃だ。
小さく少ないカテゴリーのモノの中にこそ人間臭い、濃いアイデンティティはまだ残っている思う。

〜「ワールド・ミュージック・レーベルの理想的な姿は、制約と無縁でいることだ。国。地域。レーベル。契約。立ちはだかる様々な制約を全て飛び越えるのは不可能に近い。...このレーベルは「愛」と「センス」でこれらの制約をほとんど飛び越えた、ごく希な例であると言えよう。」〜      Perry . J . Vorks 「The Guide of Music around the world」より


Imua - Local to the Max from Putumayo World Music on Vimeo.

5月

 肩まで伸ばした長い髪、髭はぼうぼうで、強い意志を感じさせる鋭い眼光、漫画に描きやすいその特異な風貌の男は南部訛りがキツク、ダミ声だけどその声の奥深い部分に暖かいSpiritが溢れている。

ジャンル的にはスワンプ・ロックという括りで日本に紹介されたがカーペンターズのソングフォーユー、世界中の沢山の歌手がカバーしているジョージ・ベンソンのヒットで有名なディス・マスカレードの作曲者だと言えば馴染みは深いだろう。レコードは何枚か持っていたが、当時2枚組のLPレコードは4000円以上していただろうか?知り合いのお兄さんやら同級生のお姉さんが持っていたモノを借りてせっせとカセットにダビングしていた頃を思い出す。 意外な一面を知るのは彼がハンク・ウィルソン名義で出しているカントリーのカヴァーアルバムで、日本で言えばさしずめ演歌のカヴァーを歌うようなシチュエイションだろうか?こういうバックボーンを知ることによってメロディアスでどこかメランコリックな彼のオリジナル曲のメロディーの源泉を見ることが出来る。 その彼を映像で見たのは確かバングラデシュ救済コンサートの映画だったと思うが、のちにシェルターピープルを連れて来日した折には運よく本物を間近で見ることが出来たが、非常にゴスペルっぽいライブ演奏スタイルにまたまた驚いた。この中に入っている曲はその70年代に来日したときのステージ構成とほぼ一緒だ。30年振りに聞いたこいつでまた昔の記憶が蘇った。 2,3年前HPを見たときあの風貌はしっかり髪も髭も真っ白になっていて、本当にギンギツネみたいになっていたが、自身のレーベルからは出しているが日本未発表のCDが多いのと、年間のライブ本数が異常に多いのにも驚いた。もう70近い年齢だと推測するが、このパワフルでファンキーなお爺さんはまだまだ活躍してくれそうだ。

タイムリーな事に今月御大は日本にやって来るようだ。

6月

 ウーピー・ゴールドバーグの主演した「天使にラブソング」という映画があったが、そこで歌われていたOh!Happy Dayなどが我が国では一般的にゴスペルと思われているようだが、ここ最近聞いている進化したゴスペルはそれまでの自分のイメージとは大分違っていた。奴隷制という悪しき迫害の歴史の中で、アフリカ系アメリカ人はキリスト教への信仰により、神に彼ら独自の音楽表現で賛美をささげるこの文化を生んだ。 黒人霊歌の発達と共に当初は単純なメロディーをユニゾンで歌い打楽器を鳴らすというようなスタイルは、ポピュラー楽器の普及と共に電気楽器を使用して5弦ベースなどの音域をフルに生かしたリフ、ハイスピードのレズリースピーカーから発せられるエモーショナルなハモンド系オルガン、エレクトリク・ピアノ等でレイヤーされたadd9の和声を多用したパーカッシブで洗練されたコード進行、ダイナミックにアレンジされたコーラス・アレンジにより近年ゴスペルという洗練された様式に生まれ変わった。ここでは派手なギターソロもなければギミックな演出もなく、自分のからだ全体で讃える神への感謝だ。

暴力、抑圧、差別、絶望といった現世の苦しみは信仰により天国に行けば皆誰も救われるという宗教観により、歌とリズムで神を賛美するその行為はより彼等黒人の結束をより固め高まった。牧師の説教の前に大人数で歌う合唱はそうだが、礼拝に集まった老若男女皆で歌うため覚えやすい単純なメロディの繰り返しで高揚して行くものも多いが、当然ながら歌は聖書を題材としているので希望に満ちて明るい。失望を歌って行ったブルースとは正反対にあるものだ。

今ボクはこの人達夢中になっている。かなり重症と言える。

7月

 テナーサックスと言えばコルトレーンしか知らなかった僕にこのヒト達を教えてくれたのは、当時一緒にR&Bバンドをしていたサックスの人からだった。何ともシンプルだが丁寧な話し口調のような演奏のしかた、まるで人が耳元で囁いているような息だけを吹く繊細なフレージングはそれまで聞いていた頭でっかちな奏法と比べるとまるで違っていた。ビバップ登場前の当時のジャズはまだ今のように理論化されておらず、複雑なコード分解などもまだまだ未成熟だったので、当時は歌ものと呼ばれるヴォーカル曲のフェイク的解釈や、チェンジものと呼ぶ2度進行を元にツーファイヴにコードを置き換えた楽曲が一般的で、機械的になりがちな楽器演奏をいかにより人間っぽく演奏するかということ当時ジャズマンは心血を注いでいたと想像する。その頃活躍したのがこれら三大テナーサックス奏者の巨人達、コールマン・ホーキンスレスター・ヤングベン・ウェブスターだった。一人になった夜のBGMには最適だ。 ミスターヴォイスの異名をとるフランクシナトラのちょっと鼻に抜けたシルキーな歌声は、逆にトミー・ドーシーのトロンボーン演奏にヒントを得たといい、その少しビブラートを効かせた歌唱法でより洗練されて聞こえる。エレキベースの革新的奏者ジャコ・パストリアスも後にシナトラの歌のフレージングに影響を受けたと何かの本に書いてあった覚えがある。腑に落ちる。

 

今月の本:ずっと読みたい読みたいと(京都風表現)思っていながらも、中々現実世界と符号する部分が多過ぎて長い間手を出しにくかった本がある。 世間で流行になったちょうどその頃、母を亡くしたという時期と重なり、更に3年間も遠のいてしまっていた。それは親子の愛情を深々と描いた作品だが、序章から後半近くまではその関係を面白おかしく茶化して、近くにいるが客観的に見た親への優しいまなざしで溢れていた。しまいに近づくにつれそれは感謝の念、愛情のお返し作業に変わって行く。親に迷惑、心配をかけるのが子の特権だが、平均よりも増して親不孝をした輩には特別に響く何かがこの本にはあった。「東京タワー・オカンとボクと時々オトン」、後半は刻々と変化していく容態を24時間マラソンの実況中継のようにリアル過ぎて印象がガラッと変わるが、良く練れていて文章も面白いし長さを感じさせない作品だった。母は偉大なり。 子供の頃の目には大人同士のわけの判らない儀礼とか、普段の何気ない世間との関わりやらが奇異で異物に見えることがある。それを純粋というならば、その行為を失わせないためには常識的な物事の関係性、社会性をがんと受けつけない覚悟が相当必要なのだが、まわりの風が強すぎて自分自身舵がとれなくなった時、環境のまったく違う自然の中で自分自身を再発見し成長していくさま、生きているということの本当の素晴らしさ、大切さ「西の魔女が死んだ」はそんな子供の心から見ていた頃の視点を思い出させ、忘れていた何かを教えてくれるだろう。

8月

 かれこれ30数年以上も前の話、北大阪だったか京阪沿線だったか記憶が定かではないが、駅前徒歩5分くらいのところにあるよくある文化住宅に住んでいた友人の家(と言っても居候の身)にはレコード屋でアルバイトをしていたりしていたこともあって、おびただしい数のロック、ジャズのLPレコードが畳の間に無造作に山積みになっていた。当時彼はセシル・テイラーとか、アルバート・アイラー、オーネット・コールマン、ドン・チェリー、アートアンサンブル・シカゴとかのフリージャズにハマっていたが、その中でツイン・ドラム、ツイン・ギターという変った編成の初めてレコードを夏の閉め切った暑い部屋で聞かされカセットに録音させてもらった。当然ストレートアヘッドな音楽ではなかったが、中でも1曲毛色の違ったDINDIというとてつもなく美しいブラジル音楽が入っていたのが印象的だった。

そのオンリーワンで強烈でエキセントリックなメロディーはジャズの帝王マイルスの耳にも伝わり、熱烈なラブコールに答え後にグループに参加し数々の名盤を送り出したのは言うまでもない。
次にに遭遇したのは初代ウェザーリポートの中でだと思う。当時その手にかぶれていたボクには、シンプルでクールな響きの楽曲や、その電化された音楽の中のサックスが同一人物だとはあまり感じられなかったが、度重なる家庭生活の不幸にも耐えつつ、もう74才にもなるが、創造意欲も絶えることなく第一線でソロ名義の作品も数々輩出している。しかし、何と言ってもColumbiaレーベルから出た彼のリーダー作で夏になるとどうしても聞きたくなるミルトン・ナシメントとのコラボで出来たPONTA DE AREIAという有名な曲の入ったCDがある。ボクの夏の定番音楽を一言で言えば、途中マスターテープのアジマスズレでピッチが微妙に怪しいが、涼しげなソプラノサックスで奏でられる彼のこれしか思い浮かばないのだ。

 

9月

 ボクがまだホウキをギター代わりにしていた頃、Dコードのギターの高音弦でミファミレミ〜というギターの印象的なイントロを聞いたのは確か小学生高学年だった。当時の世間では一般的だったグループサウンズという今で言う歌謡バンドでやっていないところはないほどアチコチで聞いた。タイトルが「テル・ミー」だというのはずっと後から知り、そのオリジナルは英国のローリングストーンズだということはまたまた更に時間を経ることになった。中学に入り特に「サティスファクション」「ペイントイットブラック」「アンダーマイサム」「タイムイズオンマイサイド」「ルビーチューズデー」は当時はお気に入りで、その後4つ違いの兄貴が東京から持って帰ってきたのは極彩色で角度を変えると光り方が変る変なジャケットの「サタニックマジェスティーズ」というアルバムでその勢いは増々加速して行った。ヒットチャートにのめり込んでいたボクとの次なる出会いはガッツなギターサウンドで始まる「ジャンピングジャックフラッシュ」という曲だったが、次のシングル「ストリートファイティングマン」はその当時のボクにでも音が悪い音楽だなと思わせる作りで、リーダーのブライアン・ジョーンズが不慮の事故で亡くなってからボクのストーンズ熱は急速に失速していった。今思うとLondon&Decca Label時代が好きなんだと気がついた。シングルボックスこれはいい。watch you!

 

 

 

 

10月

 シンプルなギターのストローク伴奏にぶっきらぼうなハーモニカ、韻を踏んだ現代詩のような歌詞をそれまで聞いたことのない言葉を吐き捨てるような、一度聞いたら忘れない独特な歌い方でその世界を作っていったこの人は、奇しくも当時のアメリカは公民権運動、ベトナム戦争のまっただ中で、そのシニカルで虚無的な歌詞とあの歌声と相まって時代の寵児となって行ったのは言うまでもない。

彼の曲を初めて聞いたのは多分小学生の頃、ピーター、ポール&マリーが歌った「風に吹かれて」だったはずだ。中学になりギターを弾くようになるとあの時代のフォークギター教則本では、はじめの方にかなりの確率でこの曲が出て来ていた。
いくらアチラで人気があるとはいえ、当時の60年代の地方のレコード屋さんの中にそんな勇気を持って気の利いたコーナーをおける店主がいる筈もなく、実物のレコードを見るのはちょっと小金があり、ちょっと年上で、マイ・カーを持ち、平凡パンチを愛読しているようなお兄さん達の部屋のレコード棚しかなかった。
しかし、シンプルで特徴的な曲が多いにもかかわらず意外と結構幅広いジャンルで色んな人達カヴァーしていて、あれも?これも?と後で気がつくことも多い。
ボクのディラン歴はこれまでずっと人が歌ったものの中でしかなかったし、気がついたら一枚もレコードを持ってもいないのに沢山歌を知っているというおかしな現実があった。
20才で一人住まいをするようになってからは言葉の力を知りたくて、仕送りの一部の大枚を叩いて買った日本での研究家、片桐ユズル氏の翻訳した分厚い2冊入りの歌詞の訳書「ボブ・ディラン全詩集」で彼の文字の世界観を理解しようと試みたが、難解過ぎて何が何だかサッパリ意味が判らなかった記憶がある。

集会などで歌うことが多くなって行くにつれ、反体制の旗手と勝手にレッテルを張られていた彼は当時からそれに対して違和感を抱いていたようで、勝手に一人歩きして行くパブリック・イメージに困惑していたようだ。今から考えると音楽はエンターテイメントだと当時から感じていたボクには、反戦だの抵抗という看板の下でやる音楽はどうもやや腑に落ちなかった。1973年の「天国の扉」以後彼の新しい作品には触れていないが、そういうボクもとうとう昨年初めてベスト版CDを買ってしまった。
何年経ってもあの初期のサウンドを聞くと、何もかも捨ててギターケースとバックパックを背負い、ふとヒッチハイクにでも出たいような気分にさせてくれる。
そういう気分はボクの座右の銘、A rolling stone gathers no moss.「転がる石は苔むさない」“止まるな、安心するな、巻き込まれるな、変れ、前を見ろ”で刻み込まれ、いつもボクに問いかけている。

 

 

 

11月

 超現実的な枕という一風変わったタイトルのLPレコードにまつわる話しをしてみよう。アジテイトするような鋭角的な歌はグレース・スリック嬢、甘い声でツイン・ヴォーカルの片方はマーティ・ベイリン、くねくねするリード・ギターはヨーマ・コーコネン、特徴的なリズムを中心に12弦エレクトリックギターを演奏するポール・カントナー、これも根音、5度以外のウネウネするベース・ラインを弾くジャック・キャサディ、時折入るスイングのリズムでジャズ出身ということが聞いてとれるが、アタマ打ちの強烈なダウン・ビート・ドラムにスペンサー・ドライデン、バンドの名はジェファーソン・エアプレインという。

当時アメリカ西海岸でバンド御三家と言えばグレートフル・デッド、クイックシルバー・メッセンジャー・サービスにこのJ・Aだった。ベトナム戦争と同時期に吹き荒れたサイケデリック・ブームの中心的存在だとも言える。このアルバムは当時東京にいた兄が持って帰って来たのが始まりで、兄がいなくなってもこのアルバムと次の3rdは放置されていたためにオープン・リールのテープ・レコーダーに録音して良く聞いたものだった。ヒットした「あなただけに」(GSのモップスが「朝まで待てない」という曲を出しているが見事に日本化されたパクリと見るべきだろう)は当時ギターを弾き始めたボクにEmからAというカッコイイコードの響きを味あわせてくれた。この曲はあまりに有名なので知っている方も多いだろうがこのバンドの神髄を知るにはあまりにも一端過ぎる。

この2ndアルバムの選曲は中々バラエティに飛んでいて、ヒット曲で同名調で終わる「ホワイト・ラビット」やインディアン・フルートを使った東洋チックな曲、2フィンガーで弾かれるオープン・変則チューニングのインスト曲、基本的にフォーク・ロックをベースにしているがツイン・ヴォーカルをうまく使った和声、ユニークなコード進行といいバンド・アレンジもまた素晴らしく、とにかく飽きさせない。当時のバンドと言えばお気楽サーフ系・ロックが多かったと思うが、この人達のあか抜けたサウンド作りはバンドという形態で断トツで一線を画していた。思い起こせばボクがバンド・サウンドというものを意識したのはこのバンドが初めてだったのかも知れない。続いて出た野心的、実験的な組曲形式の3rdアルバムAfter Bathing At Baxter's (1967)で彼等の持つ才能は一気に吹き出すことになる。

サイケデリックの雄として語られることの多い彼等だが、意外にもギターのコーコネンさんはカントリ・ブルースを基調にしていて、コーコネンとキャサディはJ・Aと平行してHOT TUNAというカントリーブルースバンドを結成し何枚もアルバムを出していて、現在でも全米各地でツアーを行っており、この1枚目のデビューアルバムもまた素晴らしい。

ブリティッシュ系のT・レックスやらボーイなどの英国グラム系には少々うんざりしていて、西海岸のカルチャーに相当のめり込んでいたボクにはWoodstock後からは大きな音楽的な支えになっていて、その後BARKという自身のレコード・レーベルを発足せたり、活発な活動をしていた。オリジナル・メンバーの脱退や色んなゴタゴタが続いて後期ジェファーソン・スターシップと名を変えてからもヒット曲はあったが、ボクのジェファーソン歴は自分の脱・西海岸スタイル宣言と共に5枚目のVolunteersでJ・A熱は完全に急降下してしまった。

   

 

 

 


 

 

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