1月
 
 サックスと言えば、古くは サム・テイラー ナベサダ や、 コルトレーン くらいの知識しかなかった若い頃、一時期一緒に大所帯のバンドをやっていた頃のサックス吹きさんに教えてもらったこの 二人 の巨人達の音楽は、一生涯聞くであろうお伴の仲間入りをした。 昔仕事をしていた時のバンマスが、 シアリング ブロック・コード 奏法を得意としていた。チックや、ハービーのアグレッシブなpfしか耳に入らなかった当時の僕には仕事の音楽という意識が強かった。耳障りの良いラウンジ・スタイルと簡単に言ってしまえばそれまでだが、音楽はエンターテイメントだと思う考えの芽生えは、知らず知らずにこの頃養われたモノなんだろう。 どこを切っても金太郎飴みたいな この人 の音楽は、本人の人柄、懐の奥深さを感じさせてくれる。絶対に聞いた人を自分の音でハッピーにさせたい!という気迫のようなものが伝わってくるが、当時はスリルのない音楽はBGMだと思っていた。この人も若い頃は意識して避けていた一人のジャズマンだった。 シアリングもそうだが 、目が不自由な方というのはやっぱり健常者には聞くことの出来ない、心の歌、魂の叫びが浮かんで来るのだろうか?ハ長調を0地点だと勝手に解釈している我々凡人は、臨時記号が沢山付いていたり、使用する黒鍵が多いということだけで、難しい曲だと視覚的に判断して、序列を無意識のうちに作ってしまうが、白人と黒人という文化的背景は違うにせよ、 この人 達に共通しているのは目が見えないが故の感性による思うがままの発想と独創的演奏だ。 世の中がバブルの時代 この人 ヴァージン UKと契約したと聞いてちょっとビックリした記憶がある。世界で活躍する日本人みたいなTV番組の中の特集で、その英国滞在時代の生活を見て興味を持っていた。当時の英国はUKソウルの打ち込みを多用したグラウンド・ビート全盛だったと思うが、元々ブラック・テイストが希薄で、音楽商品を作る上のイニシアチブが会社の戦略上にあったことで、東洋人シンガーとしての部分だけで自分を表現しなければならなかった彼女にはかなりのストレスだったことは容易に察せられる。それから日本に戻って来てからはアコースティックで 内省的 な方へ徐々に 変わって 行った。遊びでやっていたアマチュアバンドでも何曲かレパートリーにしていたりもしていたが、ミュージシャンとしての彼女には興味があっても、スピリチュアル・ヒーラー的な部分を前面に出している 彼女 には、どうしても一種の宗教っぽいバイアスのかかった見方になってしまう。一度じっくり聞いてみたかったヴァージン時代の廃盤になっている CD も手に入れた。

☆ ご挨拶 : ご訪問中の皆様、明けましておめでとうございます!当 HPも開設以来足掛け3年目に突入いたしました。 ここ最近ではHP1日平均20〜30人、ブログ60〜80人が平均の訪問者数です。HPの方はブログをスタートさせて以来、昨年より更新ペースが遅れ気味ではありますが、自分としましては、人生をトータルな完成形にしたいがために、自身のソフト開発、優先順位をつけての物選び、いかに人生の着地点を見つけるかの思案の方が大きく、若い頃のような闇雲な情熱は薄くなっていますが、毎日来てくれるウォッチャーの数を見るにつけの皆さんのお役に立てる情報を出し、期待を裏切らないよう、今年は気持ちを少しは入れ替えて行きたいと思っております。今年一年もよろしくお願いいたしま〜す。

 


2月

 最近は CDを買わなくてもYouTubeの中のお宝映像で楽しんでしまうことが多くなって来ていて、見逃してしまった音楽番組やら、今では入手出来ないPVなんかも沢山あって、イリーガルながらitunesにコレクションさせてもらっている。 電気ベースの 革命児 と言えば ジャコ・パス だが、彼の 動画 も多い。昔初めて ウェザーリポート で来日したおり、大阪フェスティバルまで見に行ったが、ロビーで全く同じ髪型、ヘッドバンド、白の紐パン衣装のコスプレをして楽器ケースを抱えた人がいて遠目に見て呆れたことがある。いくら同じ楽器を持とうが、カッコをしようが、難しいフレーズをコピーしようが、詰まる所 オリジナル の枠を越えることは出来ない。過程としてのマネはもちろん大前提で必要だが、何故彼がああいう発想に至ったか?そこを研究すべしなのである。歴史的に日本人はオリジナルのコピーをして、平均的により優れたものを作り出す国民性で工業製品などは優れていると思うが,こと芸事については、オリジナルなモノを作る発想には弱いようだ。彼のように存在出来た理由はいくつか考えられるが、 パーカー から ジミ・ヘン 、果てはバッハ無伴奏チェロ曲まで果てしなく広がる持ち前のオープンマインドな好奇心旺盛さ、フロリダという多民族が比較的多く住む州に住んでいて色んなルーツ音楽が身近にあったこと、若くして家族があったため甘っちょろい生活が出来ず、テンションが高く物事の集中力を上げざるをえなかったこと、それと元はドラマーだったことと、あの独特なビブラートしているフレーズはフランク・シナトラの歌に影響されたと何かの本で読んだことがあるだから、本来芸術家として生きるなら、外観だけ似たようなモノを作ることは卑しく蔑み、恥じなければならない。元に戻るが芸術とは=何かに対峙した時、その人なりの独創的解決方法の一つだとも言える。世界中にいるジャコズ・チルドレンの中で、関西出身のベーシスト納浩一氏の ソロ・アルバム でも ドナ・リー を採り上げていた。(しかし、もしも傍にジャコがいたら、カタイ!カタ〜イよ!You〜っ!Take It Easy!Maaaan!と確実に言われると思う)

これまた大昔、京都会館で場内警備のアルバイトをしていた頃、何かのロック・コンサートで内田裕也のバンドが出ていた時に旧名:悠木 千帆、現: 樹木希林 がリハ中の客席にいたことがあり、誰を追っかけて来ているのかバイト仲間の間で噂になったことがあった。19才で元・ 少年アイドル と結婚、出産とハイペースで濃密な人生を送っている この人 は、去年からことある度に名前が出て来て、とうとう CD やら 沢山 買ってしまった。最近TV「 東京タワー 」で役者もやっているみたいで、どうやら今のところはそのDNAの良いところだけを受け継いでいる模様だ。

☆今月の本: サブカルチャー 系雑誌と言えば真っ先に思い浮かぶのは、 ローリングストーン 誌とか、今は見る影もないが 植草甚一 氏編修の「 Wonderlnd 」後に宝島という雑誌だった。丁度学生運動が沈静化し出した頃で、西海岸ではヒッピー全盛、日本でも京都は世界中のヒッチハイカーが集まっていて、その頃は東京からも流れて来た人達も多く、円山音楽堂では野外ロックフェスが盛んだった。最近はネット通販ばかりで、本屋へまったく行かなくなったので、雑誌の類いも全然見ることがなくなったが、NHK-BSの音楽情報番組でここの編集者が紹介されていて一発で感光したのがこの 雑誌 だった。 ネーミング も良い。この何か新しい匂いをこの free net-radio でも聞いて・・・。何か落ち込んだ時に猛然と威力を発揮するこの人の34円から買える 言葉力 はスゴイ!「誰よりも人と違う!」なんちゃってジャコ人間の答えはこういう常識否定の仕方以外出て来ないだろう。


3月 紛失


4月

 僕の ハービー さん遍歴はフュージョン・ブームの時に、News Week誌なんかで「Jazz Is Dead」と言われていた時代に賛否両論を巻き起こし大ヒットした73'「 Head Hunters 」以来だ。この アルバム はその次の作品だったと記憶しているが、ファンキーなリズム隊から紡ぎだされる縦糸に、当時は日本のシンセがまだ有名になる前の時代で、Rhodes(電気ピアノ),Solina(初期ストリングス・シンセ),Arp(初期アナログシンセ),Clavinet(電気チェンバロ)といった当時の往年の楽器類を駆使しながら横糸を紡いでいる。 曲は疾走感があり、スリリングで全部いかしているが、中でもButteflyは「ダルマさんが転んだ」的な呪文のようなリフにバスクラの印象的なメロディーが乗っかっている不思議な曲で、当時構造を調べるために夢中でコピーをしたりしていた。 プロデューサーは当時西海岸で名を馳せていたDavid Rubinson氏で彼はSantana、Tower Of Power、Doobie Brosなどのプロデュースもしていたと記憶しているが、このプロジェクトの成功により、それまで一般的なJazzはアドリブが延々と長く、難しいと言われていた固定観念を覆し、ジャズ人口の間口を広げたことの功績は、その後のオルタネイト・ジャズの道筋をつけたエポックメイキングな起点であると捉えるべきだ。その後もハービーさんの新譜レコードは出る度に買っていたが、ラップが入った「Future Shock」あたりで追っかけていた熱も突然冷め、何故かその頃からパーカーや、コルトレーンといった昔のメインストリームの方向へ興味は移って行ってしまう。 しかし、うちにあるCDの中でも一番多いものは多分ハービーさんがらみだと確実に思う。 このブラックファンク時代の推薦盤は、間違いなく日本公演のライブ盤の「 Flood 」75'と言える。ジャケットは今見ると相当いけてない(確か横尾さんだったような?)が、アコースティックPfと電化サウンドの両方を楽しめる絶好の1枚だ。 オマケ: ここ でローズpfのデモ音源をしている珍しい音源が聞けます。 この は同業者からはキットの数が普通の倍以上多いとか、楽器全部にマイクを付けたがるとか、とにかく注文が煩いとか、気難しく怖いとか、あまり良い評判は聞かないが、楽屋ではマイルスの曲をtptで練習したりと、高校時代全国大会へ何回も行くような吹奏楽部にいただけはあり、音楽に対する取り組み方や、影の努力は惜しまない人のようだ。 彼の 演奏スタイル は自分的には手数が多すぎて、自分的にはあまり好きではないのだが、Butterflyをググってみると笠井紀美子くらいしかなく、ここだけがヒットしたのだった。ここの若手pfさんアレンジはクローズド・ヴォイシングが少なくて、どの曲も比較的きれいな和音で弾かれているのがいささか気に入らないが、ハービーさんの曲を4曲、スティービー・ワンダーの曲を2曲とシッカリそそられる選曲になっている。メンバーは20才そこそこの若者だが立派に対峙している。しかし、このバンドは100%ライブバンドだと言える。

 


5月

 この人 をはじめて知ったのはギタープレイヤー誌の連載ブルースセミナーだったと思う。手書きの漫画を散りばめたユニークな文章に、音楽に対する何やらただならぬ気配を感じた。それから次にその名前を見たのは日本「TVの天才タケシの TVジョッキー 」のエンドロールだった。まさにあの風貌で音声スタッフとして出ていた時は少々驚いた。まず職業にしなかったという現実重視の姿勢、正業がある故に出来る妥協のない制作。サラリーマンだからわかるその悲哀さ、現実的な歌詞とテーマ、それを乗り切ろうとするユーモア、まさしくリアリティのあるその選択は間違っていなかったのだろう。この人には先端とか、洗練とかという言葉は全く当てはまらないのだが、日本には珍しい古いジャンプ、ジャイブ・スタイルで思いっきり臭いブルースを オーケストラ編成 で聞かせるワン&オンリーなこの人に幸あれ。珍しく 2枚 購入。 もう80才を超えているという この人 はフランク・シナトラや、アンディ・ウィリアムスとかと比べると日本での認知度は今一つだと言える。原曲にたいしてメロディーに忠実に歌おうとするその正統派スタイルは得てして地味目に聞こえるが、個性がないと言えばそれまでなのだが、意外と的を得た答えではない。サーカスのピエロが相当な技術がないと出来ないように、正確な位置が分かっているからツッコんだり、遅らせたり出来る訳だ。あのスイング感はそういう技術の賜物だと言える。ここまで歌い続けることが出来るということはそういう基本がしっかりしているのはともかく、時流に流されず自分に正直に、しっかりとJazzを見据えて活動していた結果に他ならない。このデュエットアルバムはBSでバースデーライブの模様が放送されて初めて知ったのだが、トニーさんの歌の後に続けて歌う共演者のフレーズが生き生きして化学反応して聞こえる。いぶし銀!まさにこの言葉がピッタリとあてはまる共演者達の熱いリスペクトが感じられる良い アルバム だ。こんなお爺ちゃんがいたら自慢出来る。

今月の本: この人 を初めてじっくり目にしたのはNHKの「今夜は恋人気分」という番組のホステス司会で、丸分かりの整形二重のキショイお姉さんという印象だったと思う。その後biglobeの動画コンテンツの中に、この人の人生相談コーナーを発見し興味が湧いた。ほとんどオッサン的な思考なのだが、男性にたいしてはコウダッ!と言い切れない女としてのか弱い部分がいつもつきまとうのが可愛いところだ。自分自身の整形ネタ、買い物依存症、風俗嬢の体験入店と、人間の欲望に付随するテーマに途切れることはないが、段々エスカレートして行くその体を張った 自虐的 な作風は、痛ましくもあり危なっかしくて逆に目が離せない。「 私という病 」まさにそういうことだ。

 

 


6月

 この楽器はやっぱり打楽器なんだと思い知らされる弾き方がある。アメリカの黒人達によって叩きつけるように弾かれる ブルースピアノ だ。高度な音楽教育を受けられる上流階級でもない人たちにとって、このうきうきさせてくれる魔法の楽器を弾ける機会は教会くらいしかなかったはずだが、その演奏法は土地土地地域地域で独自に進化していった。ブルースの流れから来たニューオーリンズpf奏法は Dr.John が一番解りやすい奏法を示してくれている。 セカンドライン というニューオーリンズ独特のリズムは、故人を埋葬したあと墓地から明るく帰って行進する時のものだという。 ころころ転がるようなリフが聞きたくて、国分輝幸、チャールズ清水氏が弾いている、そのまんまのタイトル久保田麻琴と夕焼け楽団「 SECOND LINE 」とファンキーピアニスト KYON ソロCD を購入。前出の二人と中西康晴氏は70年代当時関西ではブルースを弾ける天才18才トリオとして名を馳せていた。ちょっと遅れて今では 小島良喜 氏が随分とアチコチで活躍している。 最近知ったこのYoutube的音楽共有 SNSサイト のお陰で、1日中かけっぱなし状態の中、洋楽CD購入は大幅に少なくなる模様。いくらかの制約はあるものの、あらゆるジャンルから200万曲、ネットラジオよりも音は良いし、勝手に同じ趣味傾向を分析しかけてくれるこのサイトには、クラシックのジャンルもあり、それぞれ試聴が出来るのも有り難いし、モノを選ぶ優先順位が金銭感覚以外で働く軽いカルチャーショックでもある。しかし、 こういう マイナーなものは依然買わねばならない。 基本的にフリー(無料)で皆でシェア(共有)するというこの考えは、 Linux を筆頭にネットの世界ではすでに先行して実践されている。経済行為を破壊する悪と思われがちだが、人はなぜモノを所有したいと思うのか?というモノへの価値観の再構築と、人類が古い経済観から脱皮し、社会生活の中心に据える心のあり方を進化させるための大きなハードル、キーワードになるのではないだろうか?誰でも作れるような粗悪で心のこもっていないモノ、サービスこそがこのシステムによってこの世から排除されて行くべきなんだろうと思う。


 

7月

 初めて 彼女 の声を聞いたのはヒットチャートものの番組をエアチェックした中だったと思う。まず、都会的に洗練された富田恵一氏のその壮大なアレンジに驚かされたが、もっと驚いたのはその歌を歌っている人が TVのドラマ に出ていたことだった。声フェチのボクは一度聞いたら大体記録してしまうので、その人が歌っている声だとすぐ判った。その主題歌はコジャレた伴奏が付いていたが、それがなくても伝わって来る声の存在感と、表現力に完全にノックアウトされた。 この ミニアルバム は03年に爽健美茶の企画モノで10万枚限定のCDだったそうで、ホリー・コールのコーリング・ユーのような不思議なアルペジオで淡々と演奏されている中、葉加瀬太郎のPにより持ち前の彼女の存在感でこの不朽の 名曲 を趣のある作品に仕上げている。 アメリカが唯一世に誇れる文化は、ジャズとミュージカルだと思っている。その種子はラジオと映画に乗って戦後世界中の国々で発芽し開花した。 このフランス人 もその影響を受けた一人で、日本では「シェルブールの雨傘」や「思い出の夏」の映画音楽の作曲者としてつとに有名だが、クラシックの音楽学校を卒業してジャズの世界に入り込み沢山ジャズCDを出している。概ね ユーロ・ジャズ ピアノ奏者には同じような傾向があるように思われる。それは米国本国のように貧しい家庭のため、演奏法を耳で聞いて自己流で成立せざるを得なかったという立場のミュージシャンと、家にピアノが普通に買えるほどの中流以上の家庭に育ち、初期のトレーニング方法が音楽学校なりで行われていることに所以するものと考えられる。そういう訳でこの人のような多岐なフィールドに渡ってやってのけるミュージシャンが多いのだと思う。一言で言えば添削の赤ペンに沿った臭みがない純粋培養ジャズで、どこまでも枠から外れず、健康的で明るい。

 


8月

  日曜の TV番組といえば、夕方「 てなもんや三度笠 」を見てから、漫画「 ポパイ 」そしてお風呂に入った後少々眠くなりそうな目を擦りながら、大人の時間8時から始まる「ウォルトディズニー劇場」をいつも楽しみにしていた子供時代だった。絵本でしか見たことの無い空想の産物であるはずの主人公達が、目の前のブラウン管から現実に現れるという感覚は大きく成るにつれ、いつしか「そんな訳はないわな!」とか「所詮は漫画!」と言う現実的な言葉で片付けられるようになっていった。それが大人になるということと長い間感違いしていた。 ピーターパンやピノキオ、白雪姫、今のようにCGの多用や直接的な表現手段ではなくて、考えて空想するという感覚の作業がまだ十分に残っていたTV時代に少年期を過ごせたことは幸運だったと思う。新旧取り混ぜてディズニー作品音楽集を入手したが、最近のディズニー映画の主題歌はポップ・スターのフィル・コリンズとかエルトン・ジョンが歌っているようだ。やはり夢のある物語はゴージャスな編成で正当派の歌で行ってもらいたいと思う。 最近は グールド バッハ作品 と並んで、 フランス歌曲 やカラス、ドミンゴ、パヴァロッティといった人達の オペラ 作品を良く聞いている。よくよく考えてみると当時の最高水準の人力を駆使した最先端のマルチメディア芸術なんである。電気的増幅を一切なしで、作曲者、シンガー、オーケストラ、指揮者、大道具、衣装、劇場の作り、とあんなに人知と人手が沢山要って、それもそれぞれの技術が優れていないと総合的に長時間の鑑賞に耐えうる作品にはならないのだ。 死ぬまでに一度じっくり見て、聞いてみたい生のパフォーマンスの三つ、一杯飲みながら早い時間からの 相撲観戦 、和服を着ての歌舞伎 観劇 、そして本場の オペラ 。これは見ずには死ねない。@p@!


 

9月

 夏の暑い盛りに灼熱のアスファルト・ジャングルから逃げるように地下のジャズ喫茶に逃げ込むと、効き過ぎとも言えるくらいの冷房が体温の上がった体を迎えてくれる。そしてそのジャケットのように海の上を飛ぶカモメのような爽やかな歌声と知的で攻撃的なな和音、軽快なリズムでその部屋は満たされる。リリースされた頃はカセットを持っていたと記憶する。 RTF のこの サウンド はこの真夏の情景にいつもオーバーラップする。 性格的に柳の下のドジョウのようなバンドや、誰かがやった後の二番手音楽は感性にピンと来ない。オリジナルなものに出会って触れた時の、あの胸躍る感動は何物にも代え難いものだ。マスな他の指向を基準としてではなく、たとえそれが未完成のものであっても、誰よりも一歩未到の領域へ勇気を持って進んで行こうとする開拓者魂に感光するのだ。とにかく自分に向かって興奮させる、その面白いと思った創造物の可能性を盲目的に広げて行くこと。しかし才能はある分だけ悩みも多くなるのが人間の性だ。 これ これ あれ 。チェックドアウト!@p@!

入れ墨にピアス、今ではそう珍しくなくなったが、体を傷つける行為は運命とか遺伝とかの何かからの呪縛を自らが切り離そうとする行為に見えると解説で書かれていた。スプリット・タンと呼ばれる舌を蛇のように2枚に切った若者を題材にした「 蛇にピアス 」。いつの時代でもいる、敏感で感受性が強く喪失感漂う不気味な若い世代の本だったが、昔世代と少し違うのは怒りはなく、どこか覚めていて、最初から諦めているようなシニカルな態度だ。


 

10月

 短調の主和音から短三度でそのまま平行移動して行く浮遊間のある意表をついた Gtで作ったのが丸判りのコード進行、イントロはバロックの様なリフだが刻々と変化して行くコード進行によってそのフリーなイメージを膨らませてくれる。それがまだ夢見る中学生の頃ドアーズの「ハートに火をつけて」を聞いた初めてのイメージだった。為替レートで1ドルが360円の時代で貧乏中学生が買えるのは350円位したシングル盤が関の山で、1500円ほどしたLPレコードなどは毎月のお小遣いで到底買える筈も無く、当時ヒットしていて耳に入って来る曲はポップな曲想のものばかりだった。 もっと聞いてみたいと思わされたのは最近「地獄の黙示録」の サントラ を聞いたあとで、約40年振りに他の作品も沢山聞いてみたくなった。 フロント・マンの ジム・モリソン のルックスから最初はアイドル・グループみたいなノリで日本には紹介されていたが、色々とライブ・ヴァージョンを聞いてみると結構演劇的な要素があり、ブルース色が強くて、長いインプロビゼイションは日頃の抑圧の鬱憤を晴らすかのように非日常の世界へと誘い、歌詞は当時はわからなかったがかなり政治的なメッセージが託されていたようだ。恥ずかしながら「地獄の黙示録」の挿入歌で有名になった「The END」は彼らの本質を語るチューンだと判ったのはつい最近のことだ。 その 過激で狂気のパフォーマンス から幾度となく逮捕され、ラジカルな言動でFBIに睨まれ次第に活動の場を奪われていき、この悲劇的なカリスマはガールフレンドと外遊中のパリにて Coke オーバードーズ であっけなく亡くなったと聞いている。

最近出た リミックス盤 はベースプレイヤーなしでキーボードで出していたベース音、バスドラのオフビートのリズムとか、当時聞いていたステレオ再生装置では聞こえなかった細かいディティールもハッキリ判る。

ウィリアム・ブレイクの「知覚の扉」から命名したというバンド名、ずらりと並んだ Acoustic社製のアンプ群の前にFender Bassキーボード&オルガンのレイ・マンザレク、Vo:ジム・モリソン、Gt:ロビー・クリューガー、Dr:ジョン・デンスモアと、今でも一人一人の名前が言えた。 ベトナム戦争と言う大きな負の産物が運命に組み込まれたアメリカの60年代に古い体質から逃れようと、必死で自分たちのスタイルで現実とリアルに向き合い、 エスタブリッシュメント と戦いあがく若者の声が聞こえる。


 

11月

 エラの張り意志が強そうで頑固そうで長い髪を三つ編みにしたこの人を初めて見たのは当時メンズクラブという男性ファッション雑誌の特集の中にあった野外フォーク・フェスティバルの写真の中だったと思う。それまで女性フォーク・シンガーと言えば「ドナドナ」の ジョーン・バエズ くらいのものだったが、この人の作品で日本での最初のヒット曲「 青春の光と影 」はジュディ・コリンズが歌い映画のヒットと共に広く知られるようになった。フォークの人というイメージが先行していて今イチ積極的に聞く対象じゃなかったのだが、次にボクの音楽史に出て来たのはずっと後のことで、ある日FMラジオから流れて来たいかした バンド・サウンド に乗った 彼女 らしき声を聞いた時だった。 当時はフュージョンブーム全盛でベース弾きで生計を立てていたボクは、渋いサウンドや、ベースラインを聞くと即座に反応していて、後で判ったことだが、バックでベースを演奏していたのはトム・スコット&LA EXPRESSの マックス・ベネット というベースプレイヤーでZappaのバンドやら後にクルセイダーズにも一時期参加した人だった。このバンドには売り出し中のGt: ロベン・フォード 、当時のジョニのボーイフレンドらしい、Drのジョン・ゲーリンも参加していた。 このジョニ初のライブ盤で新旧の曲のバンド・アレンジは本当にカッコ良く出来ていて影響をかなり受けたと思う。そして彼女のあくなき探究心と独創的なアイデアは徐々にジャズっぽいコンテンポラリーな領域に広がり、この頃から確実に曲の構造も変わり、いよいよ当時の新しいジャズ・シーンをリードしていた人達を巻き込んでしまう。アルバム「 ドンファンのじゃじゃ馬娘 」〜「逃避行」と続いた路線でウェザーリポートの面子と伝説のエレキベーシスト、 ジャコ ・パストリアスとパット・メセニーと組んだこのかっこ良過ぎる時空を超えた ライブ・アルバム を聞いて又又ぶったげることになる。 ジャコもどきのplayをするベーシストの ラリー・クレイン 氏と結婚した彼女は来日もしていて、その当時付き合っていたカミサンと二人で大阪フェスまで見に行った冬の帰り道、突然雪が降り出して来てノーマルタイヤでスリップしながら時速10kmくらいで家まで辿り着いたたあの日の夜の苦い記憶がジョニの姿とともに蘇るのだ。 そして第四期ジョニ熱再燃中、最近の トリビュート をよく聞いている。「いいよ、自由で良いよ、答えは出さなくても良いって」言っているようで、頭の中がニュートラルになってくるのだ。


12月

 この人たち をはじめて見たのは確か何年か前の フジロック のライブ映像の中だと思う。そのときは確か南軍の記章をバスドラの皮に書いていて、ラコステを着た普通の兄ちゃんっぽいサイドメン二人と、存在感ありありのgtとdrのそのバンドは圧倒的なライブ・パフォーマンスに、ストレートな ロック ながら音楽性の高さを感じた。その中の中心人物が元・ Nirvana のDrのバンドであったと知ったのは更に後で、写真やMTVの映像を見てもその人物とDrの金髪の兄ちゃんとは一致しなかった。それもその筈そのDrの Dave Grohl 氏はここではフロントマンとしてGtを弾いて歌っていたのである。あのNirvanaを中心としたシアトル発信の グランジ系ロック が出てくるまでは、Tシャツにハンバーガーというような脳天気な印象のアメリカンハードロックには長いこと興味がなかったのだが、 Drも叩けて 歌も書ける人はちょっと脳内センスが違う気がする。Gtも弾けるのにDrを叩いていたのか、Drも叩けるのにGtを弾こうとしていたのかは定かではないが、どちらにせよ自分の言いたいことがちゃんとありつつ、自分を表現出来る楽器でサイドメンに徹していたということなんだろう。デビューCDもほとんど自分ひとりで演奏をしたと書いてあったが、その才能をいかんなく開花させたのは カート・コバーン という中心人物がいなくなってからというのも皮肉なものだ。それぞれの曲のアレンジ力、リズムの組み立て方、ギターサウンドの響かせ方も秀逸だが、やっぱりDrのサウンドは小気味良い。一貫して貫かれている何物にも囚われないフリーでオルタネートなロック魂だ。この ツアーDVD は彼等の魅力を余す所無く伝えてくれる。 Nirvana しかり,Anti-とか、 オルタナティブ という括りにすぐに無条件で反応してしまう50を過ぎた自分がいる。然るに、 A RollingStone Gathers No Moss !@P@!

 

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